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プーさんとにぽんの話・その2、です。
例によってにぽんが暗いです。
書いてる人が暗いんだもの、しょうがない。

今回はちゃんと国名で書いてます。
なんとなく、そんな雰囲気かなーと思いまして(全てはフィーリングだ!)

普←独、中←日に読めなくはないですが、書いてる人は健全だと思ってますので。



どんな普+日でもええで!って方はどうぞ。

というわけで、遅くなりましたが一周年おめっとございます、緋紅さん。











「おやめなさいな」


決して大きな声ではなかったはずなのに、日本のその声はプロイセンにはっきりと届いた。言葉の真意ですら曖昧にぼかしてしまう日本らしくはない、きっぱりとした意思表示だった。けれども、彼特有のぼんやりとした言葉の選択のせいで、どこか演技くささを感じさせた。彼の立ち居振る舞いは、プロイセンには創作物のように思えて仕方がないのだ。所作が整っている、というよりは、整えようと過剰の演出をしているようにしか見えない。

そんなプロイセンの内心など知らない日本は、イタリアとドイツを見守っていた視線をそっと伏せて振り返った。丁度夕日を背負う格好だ。プロイセンからは逆光になって日本の表情が読めない。そもそも、彼の面の皮の厚さは他の追随を許さぬものだったから、たとえ表情を繕っている筋肉の動きをプロイセンの目が認識したとしても、それは無意味だったろう。日本は、過剰なまでに他人を信用してはいなかったからだ。隙のない、可愛げのない男なのだ。
プロイセンは追いかけっこをしている二人(と思っていたと知ったら、きっとドイツは怒るだろうことにプロイセンは気付かない)から僅かに視線をずらして、日本を一瞥した。年の功もここまできたら小憎たらしいとしか思えない、ただの偏屈な爺は、どこを見ているのか分からない目をプロイセンに向けている。表面上だけは、プロイセンへと視線が注がれているように見えるだけだ。


「なにをだ、くそじじい」

日本はふっと息を吐き出した。軽やかな呼気は、笑おうとして失敗した出来損ないのように思えた。日本はプロイセンの言葉に、これといった感情が含まれていないことを敏感に感じ取って、もう一度、先の言葉を繰り返した。

「おやめなさいな。あなたはそれでいいでしょう、けれども、それではドイツさんが可哀想です」







日本は不毛な物語が好きだ。
救いようのない悲劇は尚のこと良い。
ハッピーエンドで終わるコメディももちろん嗜んだが、やはり悲劇という括りは格別だと日本は思う。
実らない恋。
引き裂かれた恋人。
どうしても手に入らない愛。
想い合っていながら、決して一緒にはなれない二人。
そういった悲恋は日本人の心の琴線を強く刺激する。嘆いて嘆いて果てには命を落としてしまうような、死にもがくような絶望が好きなのだ。叶わぬものが好きなのだ。実らぬ種、通じぬ想い、決して結ばれぬ二人。それが絶望的であればあるほど、日本の心を鋭く抉るのだ。

(わたしにとっての幸いは、)
日本は瞑目する。

日本にとっての幸いは、彼の人が数多くいる“きょうだい”たちを平等に可愛がったことだ。彼は差別をしなかった、区別をしなかった。特別に誰かを愛おしむことをしなかった。元々、彼の人はそれほど器用ではなかった。彼らを可愛がる方法を、そう多く知っているわけではなかったことが原因であろうとも知っていたが、日本にとってはそれすらも、幸いであった。彼は皆が同様に、かわいいかわいい我が弟(あるいは妹)であったからだ。日本は、その紛う方なき事実に安堵し、同時に諦観した。家族愛以上の情愛など、この世に存在するだろうか、と。恋人同士が育む、いつか冷めてしまう病気と同義の愛など、家族間の情愛に比べたら足元にも及ばないに違いない。

不毛な恋が好きだ。
うつくしいものも、果敢ないものも、同様に好んだ。
それらは総じて、同じ場所へと行き着くものように思えたからだ。かなしくて、せつなくて、あたたかくて、さみしい。くるしくて、くるしくて、うつくしいものを尊んだだけなのに、醜い。醜さの伴わぬ愛など、この世にあるだろうか。日本は、綺麗事だけでコーティングされた愛など知らない。


日本は本来、人の感情の機微を観察することが得意だった。プロイセンとドイツを眺めることで、自分たちの間の関係を覚った。兄の情愛は、親のそれよりも勝ることを、日本は初めて気付いたのだ。可愛い可愛い我がきょうだいたち。きょうだい、というだけで無条件で愛されるのだと、日本はようやく知った。それは日本の中にはない結論ではあったが、彼らを眺めることで自然納得した。無条件の愛、当然の慈しみ。これ以上のものがあるだろうか。これ以上に、なにを望めば良いのか。

けれども。無条件の愛は、あくまで長兄のものでしかないのだ。日本はドイツの心が痛いほどに分かる。分かるけれども、日本は彼のように若くもなければ素直でもなく、可愛くもなければ愛想もなかった。あなたの喜びも嘆きも、わたしはよく分かります。そう言ってドイツを慰めることを、日本はしなかった。我々が抱く情愛など、彼らが無条件に与える慈悲の深さに、欠片も届かないからだ。元々、兄と弟という種族は思考の論理が天と地ほどかけ離れている。分かり合えるのは、至極難しい。難しいことではあるものの、我々は人の寿命とは全く別である。長く生きることで、彼もまたいつかは知るだろう。


だからこそ、日本はプロイセンを責めるのだ。可愛い可愛いドイツをいじめるプロイセンを日本は詰って、少しばかりの八つ当たりに使うのだ。兄という存在は、往々にして弟の複雑な内心など全く気付かぬ、鈍感な生き物なのだ。





「ドイツさんが可愛いのはよく分かります。その点についてはわたしも同感です。ですが、その色眼鏡のせいで、あなたは色んなものを見落としています。いい加減、ブラコンも大概になさいな」

日本が窘めるように言えば、ヴェストは俺のもんだぞ!と叫ぶプロイセンに、ああきょうだいって…、と過去を思う日本だった。いささか距離が離れてはいるものの、プロイセンの大音声がドイツに届かないわけもなく、恥ずかしそうに頬を赤くしているだろうドイツを思って、日本は深い溜め息をつくのだった。





***
色々、サーセン。。。兄弟愛云々の考察をしていったら、最終的によぅ分からんようになってしまいました。とりあえず、ベクトルは違うものの愛が存在するんだからいいじゃない、と軽~くまとめてみたり。
お祝い用の明るい話が書けるようになりたい(…)

にしても、ブログの行間のいじり方が分からん!もっと行の間に隙間入れたいんだけどなー。密集してて、見直しも見難い!

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